導入
本研究の背景には,日本における体育学の体系化についての課題がある.現在,筆者は,大学の教員養成課程における体育科・保健体育科の教育研究を実践し,その立場から教員養成課程における体育学の位置付けを捉え直そうと試みている[1].今回,筆者は『東アジアにおける体育学分野の代替名称に関するシンポジウム』(以下,東アジアシンポジウム)に登壇し, 『日本における体育学の独自性を省察する』と題して発表した[2].その際,筆者は,本シンポジウムの趣旨である「体育学に関連された分野の名称が大陸間および国家間で異なる様相を表していることは,体育に関する理解が互いに異なり,統一した用語の定義のための国際的努力が足りなかったことを意味する」という問題意識に賛同し,「東アジア文化圏においても同分野の学問の名称を再定義すべく本格的な議論が必要である」という課題を解決するために,日本における体育学の独自性を反省的省察から示そうと試みた.その結果,筆者は,東アジア圏における体育や体育学の捉えられ方,位置付けられ方に大きな差異があることを理解し,改めて日本における体育学の独自性を検討する必要性が生じた.
以上の背景から,筆者は本研究の目的を次のように設定する.すなわち,本研究の目的は,日本における体育学の独自性を反省的省察から示し,学問名称を再定義するための論議を試みることである.考察の手順は,日本における体育学についての理解,日本における体育学の現状分析,日本における体育学の関連学問(特に運動学)の外延と内包,体育学の代替名称に関する意見および代案の提示,である.なお,筆者は体育・スポーツ哲学を専攻しており,現象学的態度をとって研究を進めている.その態度は山口一郎が述べるように,「すべての学問の基礎を解明し,それら学問の客観的真理基準を問いただし,諸学問の基礎づけを遂行する『厳密な学としての哲学』をめざし,それを実現しようとする途上にある哲学」[3]である.また,E.フッサールは,「根本的な真正さにおいて基礎づけられる学問,そして,最終的には一つの普遍的な学問という理念」が省察を導くことや,我々はこの理念を「暫定的な仮定として受け入れ,試しにそれに身を委ね,私たちの省察のなかで試しにそこから出発していくことにしよう.そして,まず,その理念が可能性としてどのように考えられるかを考察し,次に,それがどのように実現されるかを考察しよう.」と述べ,考察の手順を示している[4].本研究においても,この態度や省察についての考え方を用いて考察を進める.
日本における体育学についての理解
まず,日本における体育学についての理解から検討する.体育学の名称自体は,1950年2月の日本体育学会発足時よりも以前から用いられている[5].現在の学会名称は,(一社)日本体育・スポーツ・健康学会定款第1条において,「この法人は,一般社団法人日本体育・スポーツ・健康学会と称し,英文名をJapan Society of Physical Education, Health and Sport Sciencesとする」と定められており,通称「体育学会」と呼ばれている.以後,本研究でも「体育学会」と表記する.また,体育学会の目的は同定款第3条において,「この法人は,体育・スポーツ・健康に関する学理及びその応用についての研究発表及び専門領域間の連携協力による研究成果の統合化を行うことにより,体育学/スポーツ・健康科学の進歩普及を図るとともに,体育・スポーツ・健康に関わる諸活動を通じた個人の幸福と公平かつ公正な共生社会の実現に寄与することを目的とする.」と示されている[6].
体育学会では,年1回の学会大会を開催して研究発表を企画したり,16ある専門領域がそれぞれ年間計画を立てて活動したりしている.この16の専門領域は,体育哲学,体育史,体育社会学,体育心理学,運動生理学,バイオメカニクス,体育経営管理,発育発達,測定評価,体育方法,保健,体育科教育学,スポーツ人類学,アダプデッド・スポーツ科学,介護予防・健康づくり,体育・スポーツ政策である.例えば,筆者は体育哲学専門領域と体育科教育学専門領域に所属している.この他に,筆者はスポーツ運動学やスポーツ哲学の観点からアルペンスキーやスノースポーツについても教育研究している.したがって,筆者で言えば,3つの立ち位置から体育学に関わっていることになる.
また,体育学会は,2020年度から専門領域が連携協力して5つの応用(領域横断)研究部会,すなわち,スポーツ文化,学校保健体育,競技スポーツ,生涯スポーツ,健康福祉研究部会を立ち上げて活動し,研究成果の統合化を図ろうとしている.例えば,学校保健体育研究部会では,ミッションを「豊かで持続可能な社会の実現に向け,学際的でエビデンスに基づく知見を踏まえた多様な関係者のネットワーク化を通して,質の高い学校保健体育の提供,実現に向けた提案を行う.」と設定し,ミッションの実現に向けてシンポジウムを企画したり,研究発表を企画したりしている.特に,2021年度から2023年度では,3年間で3つの課題,すなわち,「【課題A】大学体育の授業をいかに良質なものにするか/シンポジウムテーマ:大学体育の社会的使命とその実現可能性を考える」,「【課題B】保健体育授業をいかに良質なものにするか/シンポジウムテーマ:より良質な保健体育授業の具体像を考える」,「【課題C】体育・スポーツ健康科学は学校保健体育の進展にいかに貢献できるか/シンポジウムテーマ:科学的エビデンスからみた保健体育のカリキュラムと学習指導」を展開し,一定の成果を得ることができた.2024年度からは2年間で2つのテーマに焦点化し,ミッションの実現に向けて活動が予定されている.
日本の学界に視点を移せば,体育学会は日本の内外に対する代表機関である日本学術会議の協力学術研究団体である.現在は,第二部の生命科学部門に所属し,健康・生活科学委員会の健康・スポーツ科学分科会として活動している.この分科会の設置目的には,「人間存在の根幹をなす『動く』ことが質量共に変容し,活力ある社会の持続が危惧されている」という課題が挙げられ,「健康・スポーツ科学分野の学術研究を強力に推進し,極めて緊急度の高い国民の健康・体力の維持向上や生き甲斐に関する課題解決を推進するために設置する.」と述べられている[7].この「人間存在の根幹をなす『動く』こと」についての課題は,本研究における体育学の独自性を考察する際に通ずる問題意識である.
この分類に関連してさらに言えば,日本学術振興会の科学研究費助成事業では,2018年に「科研費審査システム改革2018」が実施され,審査区分の大幅な見直しが図られた結果,中区分59「健康科学」の中に体育学,スポーツ科学が取り込まれ,小区分「スポーツ科学,体育,健康科学」と変更された[8].また,2023年現在の中区分59は〔リハビリテーション科学関連〕〔スポーツ科学関連〕〔体育および身体教育学関連〕〔栄養学および健康科学関連〕である[9].このように,日本の学界において体育学は,加盟当初は教育学が含まれる第一部(人文・社会科学)に所属していた[5]が,現在は第二部(生命科学)の中の「健康・生活科学」分野に位置付けられていること,体育学会の多くの会員が専門とする研究分野は日本の学術体系全体の中では体育学のみではなく,スポーツ科学や健康科学の他,関連する分野と合わせて位置付けられるようになっていることがわかる.
以上から,日本における体育学の独自性の変容を確認することができる.すなわち,体育学は教育学の一分野から健康・スポーツ科学の総体に変わり,体育学会の研究領域は16の専門領域から成り立っている.さらには,体育学会が扱う領域を超えて活動する研究者も増えており,他の研究分野からスポーツや健康,体育を扱う研究者も増えている.この現状から考えれば,日本の体育学は暫定的に16の専門領域からなる総合科学と捉える他ない.その理由は,高橋幸一が「体育学の体育は,競技スポーツ,遊戯,レクリエーション,狭義の体育をも包括する上位概念となる.一方,スポーツ科学のスポーツは,上記の運動や狭義の体育をも含む上位概念となる.後者では,教育学と関連する体育学はスポーツ教育学に属することとなる.」[10]と解説するように,体育やスポーツの捉え方によって体育学の位置付けが変わる可能性を持つからである.
日本における体育学の現状分析
次に,日本における体育学の現状を分析するために3つの観点から検討する.1つ目は,体育学の形成及び体育学会設立の経緯と変遷についてである.体育学会は,1949年に当時の文部省が主催した「第一回新制大学体育研究協議会」第5分科会において「大学体育における諸問題を解決する推進母体として,大学教育指導者連盟を早急に結成する必要があること,そしてこの連盟が日本体育学会の結成にあたるのが妥当」という判断から1950年に設立された.設立当初の目的は「体育の科学的研究,体育の科学的体形ママ」であったという[11].なお,関連する学会である日本体力医学会は1949年に設立されている[12].さらにその前の1948年には教員免許法を制定する際に体育指導者養成の問題が取り上げられ,指導者養成について答申がなされている.それは大学の課程を修了していること,体育学部又は体育学科を新設すること,何等かの再教育コースを設けて現場の指導者の資質向上を図ることであった[13].
<図1>は江橋によって解説された新制大学発足時の体育学教育基準を筆者がまとめたものである[13].(1)の共通基礎部門と(2)の特殊研究部門から成り立っており,特殊研究部門は体育学科目と健康教育学科目に分かれている.
また,<図2>は,海後らによって解説された1949年の教育職員免許法施行規則を筆者がまとめたものである[14].この規則では,中学校において保健体育が乙教科に位置付けられ,「体育原理,体育管理」,運動生理学,個人及び公衆衛生,学校保健管理,体育実習から構成されている.保健については生理学,細菌及び免疫学,栄養学,「個人及び公衆衛生,救急処理及び看護法」,学校保健管理から構成されている.高等学校はおよそ中学校に準ずると示されている.
江橋は,教育職員免許法及び同施行規則が制定された初期の体育教師養成について次のように解説している.彼によれば,同じ時期に「大学基準協会の体育保健研究委員会が,一般体育のあり方と平行して,体育指導者養成のための体育学基準の研究をすすめていた.」のであり,それは画期的なことであったという.それは,師範学校時代の体育は「学問的には未分化で,科目としても甚だ範囲の狭いものであり」,実技中心のために体育学の体系化に移行させることは容易ではなかったからである[13].ここで注目すべき内容は体育学の体系化である.すなわち,体育指導者養成のために体育学の基準を作る必要があるということであり,この基準作りは教育学的な意図が大きかったと考えられる[1].
2つ目は,体育学及び体育学会の改革についてである.1950年の体育学会設立後,体育学会の名称や目的は何度かの検討がなされて今日に至っている.本研究では3つの段階を示す.第1の段階は,1989年の第40回学会大会本部企画シンポジウムにおける学会改革の方向性の論議である.このシンポジウムでは,体育学研究者が扱うべき学問の問題と組織化について問題意識が述べられ,その意識から派生して「専門分科の独立という問題」が指摘されている.また,登壇者の小林寛道と寒川恒夫が具体的に「体育学の学問領域」と「名称」について提案している.まず,小林が提案した名称は「体育・スポーツ科学会」である.彼は,その理由について,体育学が教育学の一領域として位置付けられて発展してきた経緯があること,1960年代から自然科学的方法を用いて人間の身体運動に関わる多様な事象を研究する体育学へ発展してきたことを指摘し,体育が「教育の一分野としての身体教育」という連想イメージをもたらすことで独立科学としての主張を弱めること,体育とスポーツとは概念的にオーバーラップする部分も多いが体育的事象をスポーツという概念では包括できない要素が多く存在すること,スポーツは文化的営みだが体育もまたスポーツ的要素があること,体育には東洋的思想に基づく身体観や健康観,身心鍛錬や生き方に関わる哲学的要素を含むこと,を挙げている.さらに,彼は日本体育・スポーツ科学学術連合の創設を提案している.この提案は,日本スポーツ体育健康科学学術連合の発足につながっており,彼の提案は学会改革のみならずより大きな組織の体系化を見据えていたと言えよう.次に,寒川が提案した名称は「スポーツ科学学会」である.彼は,体育学会に所属する会員の研究は体育科教育学を除いて「研究の教育離れ」が進んでいること,各専門分科会が研究方法論を親科学に求めていることを指摘し,スポーツ科学が類概念としての単数表記のスポーツを人文・社会・自然の三系列の諸科学から学際的に研究する「スポーツについての知の総合分野」である,と主張している.また,彼はスポーツ科学が扱う研究対象について言及し,人文・社会科学的研究の対象は「運動競技」から「遊」までの現象を含むこと,自然科学的研究の対象は“ponos”,“gymnasia”レベルの運動と設定している[15].
第2の段階は,1995年の第46回学会大会本部企画シンポジウムにおける体育学の過去・現在・未来の検討である.このシンポジウムでは,「体育」概念の明確化と「体育」における「研究」と「教育」の関係をテーマにして展開された.まず,成田十次郎は「体育」概念の明確化に向けて,ドイツ体育史を参考に検討している.彼は,「教育学と関連した相対的独立領域としての体育学」が「社会科学の独立領域としてのスポーツ学」に変容していくことを指摘し,スポーツの知識の体験の中枢にスポーツ種目別領域を置き,左右に個別学問別領域と課題別領域を配したスポーツに関する知識の体系化が必要であると提案している.成田の提案は,スポーツを中心とした新たな学問体系の試みと言えよう.次に,片岡暁夫は「体育」における「研究」と「教育」の関係について言及し,「基礎科学の応用としての体育学」と「科学の裏付けのある体育技術」は異なること,「人間に関わる体育技術では価値性は重要な作用をなしている」ことを主張している.さらに,彼は,技術と科学との関係を母娘の関係に喩え,技術が科学の母であり,娘である科学は体育技術という過程の批判や診断の資料と根拠を与えるものとして目標従属的な位置を占めるべきものである,とも主張している.片岡の主張から考えれば,体育の教育目標を達成するために指導技術が必要となり,それを科学が助力する役割を果たすことになる[16].
第3の段階は,1996年の第47回学会から1998年の第49回学会大会までの3年間で実施された本部企画シンポジウムにおける「体育学の分化と統合」の検討を通じた体育学のアイデンティティについての討議である.1年目の第47回大会のシンポジウムでは,専門分化化及び親学問への依存傾向がみられる体育学についてそのアイデンティティを確立するための問題発掘が行われた[17].2年目の第48回大会のシンポジウムでは,「健康,からだ,運動」といった体育学に関わる基本概念が検討された[18].3年目の第49回大会のシンポジウムでは,21世紀における体育学の専門化に共通な身体形成へのアイデンティティが検討された[19].
以上の3つの段階を経て,日本における体育学は体育やスポーツを扱う教育学の一領域から,体育とスポーツ,健康を範疇に入れ,身体や運動を研究対象として扱う総合科学へと変遷してきていると考えられる.さらには,体育学の対象が広がることによって方法が専門分化化され,体育学のアイデンティティが曖昧になってきていること,その根本問題には,我々研究者が扱う範疇である体育とスポーツの概念が重なり合うことによって生ずる問題があること,さらには健康を含めた体育学の概念化が必要であること,体育学が扱う共通の対象を見出す必要があることが問題として挙げられる.
3つ目は,体育学及び体育学会の未来についてである.1999年の第50回学会大会では,体育学/健康・スポーツ科学の未来像に関わる3つのシンポジウムが企画された.それぞれ,「21世紀体育・スポーツ科学のグローバルスタンダード」,「21世紀の科学と体育・スポーツ科学の探求」,「21世紀が求める体育(体育・スポーツ)学研究の方向」である[20].2000年には学会の英語名や学会誌名が「physical education」から「physical education, health and sport sciences」へ変更されている.この3つ目の改革は,東アジアシンポジウムの問題意識と同様であり,国際化を意識した改革と言えよう.では,その後の日本における体育学及び体育学会はどの方向に向かっているのか.
最近では,2017年の第68回学会大会本部企画シンポジウムにおいて『日本体育学会の歩みからみたこれからの論点と課題』が検討され,日本体育学会の歩みからみたこれからの論点と課題が検討された[21].このシンポジウムの趣旨は,「教育目的を前提する研究」と「教育目的を前提しない研究」を展開する諸専門領域研究をどのように統合するか,であった.この趣旨は,すでに挙げた片岡が指摘した問題に対する解決に向けた内容と考えられる.また,2018年の第69回学会大会本部企画シンポジウムにおいて『学会の改革戦略を探る:学会の社会的使命・将来像・名称』について検討がなされた[22].このシンポジウムでは,現在の体育学会の名称と目的に改正される契機となる内容が検討されている.
なお,体育学会の名称や目的の改正は,日本社会における「体育からスポーツへ」の移行にも影響を受けている.例えば,2001年のスポーツ振興基本計画の公示,2010年のスポーツ立国戦略の策定,2011年のスポーツ基本法の制定,2015年のスポーツ庁の設置,2018年の日本体育協会から日本スポーツ協会への改称,2024年の国民体育大会から国民スポーツ大会への変更が挙げられる.また,2000年以降に新設された体育・スポーツ系大学・学部・学科名には,多くが「スポーツ」や「健康」が採用され,その目的もスポーツや健康を推進する人材の育成に変わってきている.以上の経緯からも,体育学は教育(学)の範疇を超えて人間の生活全般へ広がっていることがわかる.すでに紹介した通り,現在の体育学会の名称は「日本体育・スポーツ・健康学会」(通称:体育学会)であり,2019年に学会名称および目的に関する定款の改正が行われ,2021年4月1日から施行されている[23].
以上のように,日本の体育学は教育の一領域として誕生し,人間の身体運動についての科学によって研究対象や方法の範囲が広がっていった.さらには健康概念を含め,人間の身体や身体活動のみならず,生活全般にまで関わってくるようになってきていることがわかる.その結果が,体育学会の16ある専門領域から成り立つ総合科学としての体育学と言えよう.
日本における体育学の関連学問(特に運動学)の外延と内包
これまでの検討から,東アジアシンポジウムにおける問題意識及び展開と日本における体育学の現状は同じであると言えよう.本研究では東アジアシンポジウムの趣旨を踏まえ,日本における体育学の関連学問の外延と内包について運動学を例に挙げて検討する.それは,運動学もまた同じ課題を抱えているからである.
金子明友によれば,運動学は物理学における数学的な運動学と理解されるのが一般的であるという[24]. しかし,日本における運動学は科学的運動学と人間学的運動学とが区別されている.前者は,キネシオロジー/バイオメカニクスとしての運動学であり,生理学や物理学等に基づく身体運動の力学である.キネシオロジーはキネーシス(運動)とロゴス(学)の合成語であり,対象が人間に限定されるのであれば人間運動の科学的研究となる.日本では,明治末期にDu Bois-Reymond『Specielle Muskelphysiologie order Bewegungslehre』が『筋生理・運動学』と紹介された [25].その後,第二次大戦後に,Scott, M. 『Analysis of human movement』(1942)が『運動力学-身体運動の分析』(1954)として翻訳され,この意味の運動学が展開されている[26].その後,日本ではキネシオロジーからバイオメカニクスへ呼称が変わったのが1978年であると言われている.その理由は,1973年に設立された国際バイオメカニクス学会(International Society of Biomechanics: ISB)とアメリカにおけるキネシオロジーからバイオメカニクスへの転換とされている[27].バイオメカニクスについては,金子公宥が,一般のバイオメカニクスとスポーツ・バイオメカニクスを簡潔に区別している.すなわち,一般のバイオメカニクス(生体力学:general biomechanics)は,運動に関係する生体系(biological system)の構造や機能を力学(mechanics)の法則に照らして研究する応用学であり,主に3つの領域で活動がなされている.それは,①生体の組織構造に関するバイオメカニクス,②動物の運動に関するバイオメカニクス,③人間の身体運動に関するバイオメカニクスである.スポーツ・バイオメカニクスは,③を対象としており,健常者や障害者の日常生活やスポーツにおける様々な運動を取り上げて,障害の原因や優れた運動等の仕組みを明らかにし,人間の運動についての理解を深めてその改善に役立てる領域である[28].
後者の人間学的運動学は,発生論としての運動学であり,運動形態学(モルフォロギー),感覚論的運動学,現象学的運動学が関係した身体知,形態,伝承発生の分析である.この意味の運動学は,Meinel, K. 『Bewegungslehre Versuch einer Theorie der sportlichen Bewegung unter pädagogischem Aspekt』 (1961)が金子明友によって『マイネル・スポーツ運動学』(1981)として翻訳され,運動モルフォロギー的考察として広まった.マイネルは,運動学の対象領域を人間運動系,労働運動系,スポーツ運動系,表現運動系の4つに分類し,スポーツ運動系を「人間の陶冶と教育として,人間の健康維持のため,スポーツや労働や祖国防衛における運動系の達成能力の向上のため,さらに人間の喜びやレクリエーションの手段として役立つあらゆる運動を含む」と説明している.彼は,教育学的な運動学を展開するためにスポーツ運動系を対象とし,他の3つの系と区別している.しかし,その区別は意図的に厳密に設定されておらず,関係や類縁性が存在している[29].
その後,日本では,金子明友が現象学を基礎学問とした運動学を提唱し,彼は『スポーツ運動学―身体知の分析論―』(2009)を上梓している[24].特に,彼の考察対象には芸道が含まれており,その意味での伝承の考察は興味深く見受けられる.ただし,芸道がスポーツに含まれるかについては別で検討する必要があるだろう.なお,コーチングについては,青山や朝岡が体育学におけるコーチング学の不在を指摘し,体育方法学専門領域との統合可能性について検討しているが,現在までに統合されていない.彼らの共通した問題意識は,体育学におけるコーチング学の役割であり,コーチング学の独自性であり,実践の視点からの理論構築である[30].
このように,日本における体育学では,運動学の2つの立場(キネシオロジー/バイオメカニクスと発生論的運動学)があり,それぞれが独立して活動している状態である.さらには,コーチング学を含めて考えれば,体育学のみならず,運動学の体系化も求められると言えよう.また,体育学における運動学の位置付けについても検討する必要がある.自然科学としての運動学と実践学としての運動学といった区別では限界が生じていると考えられる.
体育学の代替名称に関する意見および代案の提示
体育学の代替名称に関する意見について,本研究では日本の研究者3名の主張を紹介したい.1人目は,阿江通良博士である.彼は日本語の体育を海外へ紹介する際に,“physical education”と翻訳するのではなく,“Taiiku”と翻訳することを提案している.例えば,Aeは,日本における体育学(Taiiku science)を「理論的・実践的に人間の身体運動と身体活動を研究する科学」と定義づけ,狭義の体育(Taiiku)と広義の体育(Taiiku)の差異について,狭義の体育は「教育的な行為(An educational conduct)」であり,広義の体育は「体育を実践することと健康を実践することとスポーツを実践すること(Doing physical education, doing health and doing sports)」と述べている.さらに,彼は,スポーツ(Sports)と学校体育(School Physical Education)と広義の体育とを区別し,広義の体育を“Taiiku”と示している[31].また,阿江は,体育(Taiiku)を「スポーツや身体的活動によって身体的側面から人間を開発および育成する(身体から知,徳を高める)」と説明し,その体育(Taiiku)には「健康的生活のデザイン能力(生活を体育的にデザインする力)」や「健康運動(Exercise)」,「生活・生存・危機の場への対応能力」も含まれるという[32].最近では,Aeが「Taiikuize(生活を体育化する)」を提案している[33].彼の主張の特徴は,学校と社会の連続性である.このスポーツと関連した人生(生活)はタイプ1からタイプ3まで考えられている.1つ目は学校体育から始めて“Taiiku”と共に終えるタイプ,2つ目はスポーツから始めて競技スポーツを経て“Taiiku”と共に終えるタイプ,3つ目は学校体育から始めて競技スポーツを経て“Taiiku”と共に終えるタイプである.なお,競技スポーツにはエリートスポーツとレクリエーションスポーツがあり,学校体育ではレクリエーション化され,スポーツではエリート化されていく方向性が考えられている.
2人目は,林洋輔博士である.彼は東アジアシンポジウムと同様の問題意識を持ち,「『現状批判』と『原理論の構築』の発想から『体育Taiiku』の実質を問う」と述べ,考察を展開している.その結果,体育学とは「『身体活動においてよりよく動き,よりよく生きるための生き方』を学問から解明する応用科学,身体活動科学」と結論づけられている.さらに,彼によれば,「『体育Taiiku』とは,『生きる充実』としてのウェル・ビーイング(Well-being)の実現を目指す人間が行う身体活動』の総体を意味する言葉であり,概念である」[34]とも述べている.阿江も林も,日本の体育学の独自性を示すには日本語の体育“Taiiku” を用いることが適切と考えていると言えよう.
3人目は,野井真吾博士である.彼は,「動いてヒトとなり,群れて人間になる」と述べ,人間における身体運動の独自性を示している.また彼は,「動くこと,群れることが必然的に保障されている体育」が重要であるとも主張している[35].彼の研究は主として学校教育や学校体育を対象に実施されているが,彼の主張は日本における体育学を検討する際にも十分に考慮すべきであり,体育学研究者はその理論的・実践的根拠の蓄積が求められるだろう.さらに言えば,すでに挙げた日本学術会議健康・スポーツ科学分科会の設置目的に挙げられていた「人間存在の根幹をなす『動く』こと」の課題について,体育学研究者は体育学の立場から研究を推進する必要がある.それが体育学の独自性を強化することになる.
以上3名の主張を踏まえつつ,体育学の代替名称に関する筆者の意見を次の通りに述べる.日本における体育学は,体育学会の16ある専門領域の総体を示しているだけであり,学問名称としては不十分であると言わざるを得ない.その上で筆者は,体育学が「人間の身体と運動に関わる学問体系」であり,「人間の身体と運動実践についての知の体系」であることを提案する.省略した呼称は「身体・運動学」となる.
その理由は次の通りである.①体育学は人間の実践を基盤とする学問分野である.②研究対象は人間の身体と身体運動又は身体活動全般である.なお,健康は研究対象に含まれるが,それは人間の身体に内包される.この場合の身体は,肉体のみを意味するのではなく,身体性(Embodiment)である.身体運動又は身体活動の翻訳語については,Human Movement/Physical Activityを想定している.④研究方法は自然科学と人文科学と社会科学を含めた総合科学を用いる.現在の体育学会の専門領域を参考に考えれば,16ある領域の内,体育方法をコーチング学に改称し,他の領域でも「体育」の名称は「身体・運動」と変更することになる.
本研究では,体育学の代替名称にキネシオロジー(Kinesiology)を用いなかった.その理由は,”キネ/kine”が運動を意味していること,前述した寒川が指摘しているように”キネ/kine”が生物の「動き」に限定されていること[15,19],キネシオロジー(Kinesiology)がすでに一つの学問分野として成立しているからである.例えば,人間の限界と可能性について考えれば,すでに身体拡張が容易になっており,生身の人間のみを対象にすることには限界が生じる.また,AIの登場によって人間の能力を補完することも可能になってきている.体育学の範疇を定める際には,主体となる人間と他者,自然,機械,環境等との関係についても明示する必要があるだろう.
本研究における筆者の提案の独自性は,人間の身体と運動が切り離せないことにある.さらに言えば,それらの実践性が基礎に据えられることである.